聖光学院中学校高等学校

2017.11 校長メッセージ「中高時代を過ごす場所」

中高時代を過ごす場所

 10月29日は台風の接近もあって朝からの悪天候であった。今日は聖光学院医師同窓会の市民公開講座が開かれる日である。本校には千名近い医師となっている卒業生がおり、その同窓会がある。年に一度の総会に加えて社会貢献の視点から公開講座を行っている。今年は「命のきずな」をどう考えるかがテーマであった。その講座の中で第3期卒業生である小田和正さんの「生まれ来る子供たちのために」が取り上げられた。わたくしの当日の役割はこの小田さんの歌詞についてコメントするという大それた分担であった。
 その役割をいただいてから改めていくつかの曲について読み直してみた。とりわけ初期の曲は、中高時代の6年間を山手、聖光という場所で過ごしたことによって作られた詩が数多くあることに気づくことになった。小田和正さんの詩的境涯の形成の原点がここにあるのだと感じてしまう。
 「秋の気配」の出だしは、「あれがあなたの好きな場所 港が見下ろせる小高い公園」で始まり、その公園は港の見える丘公園であろうと思えるし、次に続く、「ぼくは黙って外をみてる」というフレーズでは山手十番館の喫茶ルームを思い浮かべてしまう。
 そして何よりも本校の卒業生が口ずさむ「my home town」はまさに聖光時代のことを書いた曲であろう。CDのジャケットの撮影も早朝の山手駅のホームで行われている。この曲の始まりは、

   ここで夢を見てた この道を通った
   できたばかりの根岸線で 君に出会った

 そして曲の中で繰り返し出てくるフレーズは

   海に囲まれて こゝで生まれた

 わたくし自身も卒業生の一人であり、在校中はもちろんのこと今でも東京湾を行きかう貨客船の霧笛を聞き、根岸湾を望む毎日なので身をもって感じる光景である。
 さて、肝心の「生まれ来る子供たちのために」であるが、この曲はそれまでは私にとって馴染みのない曲であった。しかし、その詩を読んだとたん、六年間を聖光で過ごしたからこその詩であるという印象を持った。以下は私の勝手な理解で小田さんの意向とは異なるかもしれない。

   あのひとがそのたびに許してきたように あるいは 君よ愛するひとを守り給え
   大きく手を拡げて

 この箇所で想起されるのは神様のことであり、手を拡げてというくだりでは復活のイエスの姿を想像してしまうのは私一人ではないと思う。そして何よりも歌詞の随所に、「守り給え」、「抱き給え」、「与え給え」という歌詞が出てくるのである。
 この「給え」という表現は、ミサの式文のにある栄光の讃歌、平和の讃歌などにも使われている。

   神の子羊、世の罪を除きたもう主よ
   われらをあわれみたまえ
   神の子羊、世の罪を除きたもう主よ
   われらに平安を与えたまえ

 というようにである。
 こうした「給え」の使い方はミサとむえんであったなら出てこないフレーズであると思う。やはり小田さんが六年間をカトリック学校過ごしたことの証左なのではないだろうか。やはり中学高校という多感な六年間で原風景が形成されているのだということをつくづく感じた。